篠木マリの勝手に日記

京都にほそぼそと生息する篠木マリです。ぼちぼちあれこれつぶやきます。

ケツ委豹名

なんですか、誕生日を迎えました。

戸籍上の年齢は一ツ年を取ったわけですけれども
自分としては一歳老けたと認識せず誕生日ということを祝い
鵺のように生きてゆく所存です。

友達も少ないなか、
大事なひとたちはおめでとうと言ってくれたのでうれしい。

毎年、じぶんの誕生日を機に振り返るのですが
いやあほんと、毎年毎年自分にとっては「事件」と呼べるような
ちいさいこと大きいこと、心のさざなみが立つこと
なにかしら起こっていて

向こうからやってきてくれなければ
もともと怠け者のわたし
のんべんだらりと過ごしていただろうに
おかげでメリハリのある日々を過ごしております。

そして、この年齢になってもまだまだ
「まだまだ」と思うことばかり

でもそれって、成長できるってことだよね
そして、人間、死ぬまで成長だよね
いかなる形にせよ。

いま、自分が繰り返し繰り返し自戒しているのが
ついつい、「自分の当たり前が他の人の当たり前」と思い込んで
怒ったり、イライラしたりしてしまうことです。

自分の考えること感じることは他人とは違うし
あることに対して感じることや、それに対応する方法や態度、取り組み方
違って当たり前なのに、ついつい自分にとっての「正解」な返答、返信、対応を
相手に求めてはカリカリして「いかんいかん」と次回自戒。いや今から。

唯一無二の「正解」を強要していた母親やかつての上司を内心厳しく批判しているのに
ついつい、同じように相手に「当たり前」な対応を求めてしまう。

そしてそれに気づいた自分を、これまでは責めてさらにしんどくなっていたのですが
さいきんようやくようやっと、
「責めなくでいいよ~ 誰だって間違いはあるさー」
と思えるようになったのダ。

著名人、芸能人政治家等々、有名でひととしての規範が求められてるようなひとたちが
ぽろっとやらかして責め立てられてますなあ。
桑原桑原、有名人でなくてよかったとしみじみ思う今日この頃。

人間って完璧でないのだから
向上しようと努力することはもちろん必要だけれど
失敗したからといって
ついつい、他人にきつくあたったからといって
自分の規範からしてみっともないことしちゃった、わー恥ずかしいと思うことがあっても
修正、修正していけばいいんだよ。
自分を責めすぎずに。

と、ようやくここまできたけれど
また多分すぐ忘れて他人に対してキーとなって
キーとなった自分を叱りつける。

そして「ああいや、自分を責めないんでいいんだよ、ただ修正していこうね」
とまた自分に言い聞かせ

を、これからも続けていくんだろうなあ。

すこしずつ、すこしずつでも
生きていくのが楽になればいいや。