ふつうの家族

ネットや新聞などで紹介されて興味をもった本を京都市図書館の
オンライン蔵書検索でさがし、あれば予約して借りて読むのに平行して
大きくはない自分の本棚にある、買ってはみたものの未読な本や
ずいぶん前に読んで内容を忘れたものなどをピックアップして、
いまは家を出て家庭を持っている上の娘の部屋の敷きっぱなしの布団に
猫ところがって読むのがひそかなマイブームです。

猫はわたしが好きすぎて、けっこう追いかけてきて
わたしのいるところにいたがります。
PC机にいるのは気に入らないようで、しょっちゅう「にゃー!」と文句を言ってきます。
娘の部屋の布団にいくと、いちばん遠くの部屋にいても、音をききつけててけてけやってきて
満足げに横に転がり、ときにはおみ足をわたしの顔におしつけてきます。

さて、数日前は眉村卓の「ふつうの家族」。

 

 

眉村卓は「まぼろしのペンフレンド」が好きで、これはわざわざネット書店で購入したが、
「ふつうの家族」はラベルが貼ってあることからして、BookOffで購入したようです。
こうしてみると、眉村卓て「学園もの」が多いのかな。

「ふつうの家族」は昭和50年代当時の、ごく一般的なサラリーマン家庭が設定。
中小企業の部長である父親、専業主婦とおぼしき母親、大学生の兄、受験をひかえた中学。
中学生の男の子がいちおう、主人公のようですが
ショートショート構成のこの本、それぞれの話で主人公が父親だったり、母親だったり、兄だったり。
ごくごくふつうの家庭なのに、ふいっと宇宙人や異次元の影がみえるという。
そして「ふつうの生活」にひそむ「ふつうでない」ことから、「ふつうって、なんだ?」とも思わせる。
テレビはでっかい箱で、しかもUHFとか、2種類のチャンネルを組み合わせてがちゃがちゃしていたのを思い出しました。
「道具変われど」道具も大事、というのはいつも思うことなのですが
ほんと、時代で道具って変わりますよね。自分の子どものころ、若かったころには普通だったことが
いまの子どもたち、若者にとっては「ありえへん」ってこといっぱいあるなあと思いました。

家族のありよう、夫婦、両親のありよう、役割も変わるもので
自分にとっては苦々しい思い出と重なってしまうのでしたが
「専業主婦で、視野が狭いのにそれに気づかず堂々としており
物の考え方も自分が中心、すぐ『なんとかしなさいよ!』と叫ぶ母親」
というのもそういう時代だったのかあ、と思いました。

おもしろかったのが、「一見論理的で自分勝手な新入社員」が登場して
ああ、昔からそういうのいたんだなあ、と思いましたが、それがじつは宇宙人だった。
そういえば、そういう「わけわからん新入社員」を宇宙人扱いする時代もあったなあ。

と、いろいろ、なつかしかったのでした。