家族のかたちについて考える

ここ数日は、図書館から借りてきたエマニュエル・トッドのインタビューをまとめた本を読んでいます。

 

 

それに先立ち、エマニュエル・トッドについてWikipediaで調べ、

ja.wikipedia.org


本を読みながらたびたび、この画面に戻ってきて確認しつつ、読み進めています。

国・地域を「家族の型」で分類していくというのがおもしろい。
かれのいうことを読んでいると、どの分野でも、新しいことを発表するとたたかれる、というのがよくわかります。
「人は、事実を突きつけられるのを必ずしも好まないのです」
という言葉は、どの国でもそうなのだあなあと思ったことでした。

さてWikiに載っている、トッドが示したという家族型によると、
わたしの実家はまさに日本の家族型として紹介されている

直系家族
子供のうち一人(一般に長男)は親元に残る。親は子に対し権威的であり、兄弟は不平等である。

です。子どもはわたしを含め、女ばかりで長女は親元には残らずに
飛行機の距離で家庭をもっていますが
親の面倒をみる覚悟で若いころからおり、将来的には親元に戻って
稼業を手伝う心づもりでいるようです。
封建的な場所ということもあり、時代もあり、男尊女卑で子どもに対して権威的、
子どもの頃は親に対しては敬語でした。

それに反発したわたしの家庭は

平等主義核家族
子供は成人すると独立する。親子は独立的であり、兄弟は平等である。遺産は兄弟で均等に分配される。

と言えると思います。
おもしろいことに、夫の出身国であるロシアの型と分類されている「外婚制共同体家族」でもない。わたしたちで、完全にあたらしい家族をつくりました。
親子夫婦間に上下関係はなく、お互い自由に考えを話し、批判し、協力しあいます。
夫はロシア人、わたしの上の子(連れ子)は韓国人との子(現在結婚して家を出ている)、下の子はロシア人との子で、同一の人種具合のひとが家庭内でひとりもいないという、わたしの大学時代の指導教授であったカナダ人の詩人が我が家をして「真のコスモポリタン家庭」と呼んでいましたが、紆余曲折、痛みなどもありましたが
この家族の在り方に満足している現在です。