トリプルびっくり

昨日は負傷もとい不詳いやまちがいた不肖わたくしの誕生日で
夫と下の娘とひっそりディナーのお祝いをしたのですが

帰宅してから、娘がプレゼントくれた。

わたしが好きそうなものをあちらこちらから買い集めたものたちで
「あ、これは最後にみて」
と言われて最後にあけたカードがめっちゃめちゃ可愛くて

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にゃんこバースデーカード

わたしの好みドンピシャですげ~!
と感激びっくり①

「かわい~!!!」
と言っていると、娘が

「実はこれ、去年のわたしの誕生日に、ママがくれたやつやねん…。
普通、メッセージ書いて渡すであろうものを、何も書かずにくれたので
せっかくだからそれを利用しようと」

あげた人(わたし)に平気で渡す娘の感性というか根性というかにびっくり②
じぶんが渡してたのに、それをすっかり忘れていて思い出しもしなかった自分にびっくり③

ケツ委豹名

なんですか、誕生日を迎えました。

戸籍上の年齢は一ツ年を取ったわけですけれども
自分としては一歳老けたと認識せず誕生日ということを祝い
鵺のように生きてゆく所存です。

友達も少ないなか、
大事なひとたちはおめでとうと言ってくれたのでうれしい。

毎年、じぶんの誕生日を機に振り返るのですが
いやあほんと、毎年毎年自分にとっては「事件」と呼べるような
ちいさいこと大きいこと、心のさざなみが立つこと
なにかしら起こっていて

向こうからやってきてくれなければ
もともと怠け者のわたし
のんべんだらりと過ごしていただろうに
おかげでメリハリのある日々を過ごしております。

そして、この年齢になってもまだまだ
「まだまだ」と思うことばかり

でもそれって、成長できるってことだよね
そして、人間、死ぬまで成長だよね
いかなる形にせよ。

いま、自分が繰り返し繰り返し自戒しているのが
ついつい、「自分の当たり前が他の人の当たり前」と思い込んで
怒ったり、イライラしたりしてしまうことです。

自分の考えること感じることは他人とは違うし
あることに対して感じることや、それに対応する方法や態度、取り組み方
違って当たり前なのに、ついつい自分にとっての「正解」な返答、返信、対応を
相手に求めてはカリカリして「いかんいかん」と次回自戒。いや今から。

唯一無二の「正解」を強要していた母親やかつての上司を内心厳しく批判しているのに
ついつい、同じように相手に「当たり前」な対応を求めてしまう。

そしてそれに気づいた自分を、これまでは責めてさらにしんどくなっていたのですが
さいきんようやくようやっと、
「責めなくでいいよ~ 誰だって間違いはあるさー」
と思えるようになったのダ。

著名人、芸能人政治家等々、有名でひととしての規範が求められてるようなひとたちが
ぽろっとやらかして責め立てられてますなあ。
桑原桑原、有名人でなくてよかったとしみじみ思う今日この頃。

人間って完璧でないのだから
向上しようと努力することはもちろん必要だけれど
失敗したからといって
ついつい、他人にきつくあたったからといって
自分の規範からしてみっともないことしちゃった、わー恥ずかしいと思うことがあっても
修正、修正していけばいいんだよ。
自分を責めすぎずに。

と、ようやくここまできたけれど
また多分すぐ忘れて他人に対してキーとなって
キーとなった自分を叱りつける。

そして「ああいや、自分を責めないんでいいんだよ、ただ修正していこうね」
とまた自分に言い聞かせ

を、これからも続けていくんだろうなあ。

すこしずつ、すこしずつでも
生きていくのが楽になればいいや。

 

ミステリとサイバーパンク

某ユーザーサイトで知った漫画「ミステリと言う勿れ」を
自分の誕生プレゼントとして大人買いしてさいきん読んでいるのですが
これがめっちゃおもしろい! 

 娯楽性がありながら、倫理的なことも考えさせられるし
根底に「子どもをナメるな」、子どもの感性、記憶力、尊厳をバカにするな、というのがある。
大人が思ってるよりよほど、子どもは大人のことよく見てるんだぞ、
いろいろ考えてるんだぞ、ずっと覚えてるんだぞ
と、かつて子どもだったことを覚えている人の多くが共感するのではないでしょうか。

そのなかで、主人公が
「自分の中から出てきた言葉を使ってください」
というくだりがある。

もう20年ちかくまえ、大学時代の指導教官であった
カナダ人の詩人の教授とその彼女との3人で
大阪であったルー・リードのコンサートに行ったことあるんだけど
そのとき"Can't you be more specific?"(もっと独特にできないのか)という歌を歌っていた。

「愛してる」なんてありきたりの言葉じゃなくて
自分で自分の言葉を見つけて言おう

というような歌詞だったと思います。
以来、とくに自分のこころを表現したいときは
自分独特の表現をするようにこころがけている。

先週末、美容室に行ってきた。
ひろびろとした古い木造建築の二階。
木の質感を生かした造り、ぎしぎしいいそうな床、時代ものの家具類
セピア色の世界に紛れ込んだような気にさせられる
美容室らしからぬ美容室をひとりでやっているお兄さんの店へ。

こだわりのつくりなだけあって、カッコつけではない芸術文化に興味のあるひとで
美容室ではしゃべらないわたしが、このお兄さんとだけはしゃべるしゃべる
置かれた雑誌を一度も手に取らないほどに。

そして会話だけでなく、このお兄さんのカットも気に入っています。
クセを生かして跳ねた、動きのあるサイドと後ろはもちろん
わたしにとってとりわけ重要なのは前髪で
前髪で、わたしの個性を表している。

ここ数年、「V字型の前髪」が気に入ってるのですが
他の美容師さんだと、思い切って切ってくれないのですよね~
まあ、「ばっさりやってください」と言いながら
実際ばっさりやったら「えええ~?」って言われること多いんだろけど

ここのお兄さんは「やっちゃってください!」
とこうして欲しい、という形を熱くつたえると
「わかりました!」
と切ってくれました。

そして、できた前髪(他の部分もですが)は大変気に入り
このヨロコビをどのように伝えようかとすこし思案してから

私「SFのジャンルで好きなののに、『サイバーパンク』っていうのがあるんですが」
お兄さん「はい…サイバーパンク、ですか」
私「サイバーパンクな感じになってます!」

お兄さんは、一瞬とまどったようでしたが
「気に入っていただけたのなら、よかったです」
と満面ニコっとしました。

わたしは我ながら、この誉め言葉が気に入った。

 

 

おいしいトースターを買った

 「『おいしいトースターを買った』というのは日本語としておかしい。
『トーストが美味しく焼けるトースターを買った』と言うべきである」

とか頭のかたいこと言わないでください。
わたしのいまのうれしさを端的に表現するには
「おいしいトースターを買った!」
なのです。

しかも、おしゃれでかわいい。

薄緑のAladdinトースターの写真

Aladdinトースター

Twitterでふだんは政治や経済についてぎゃんぎゃん言ってるひとが
あるときふいっと「このトースターは最高である」ということを言い、
「そうですよね!わたしも使っています」
「違いのわかるお店は、パン温め用に置いている」
等々、賛同のリプライが。

その後、別のサイトでも
「これがよいです。流行りのBと比較してみたが、
水入れるとかめんどくさいことなく、美味しくできる」
などなど、おいしそうなことが書いてある。

色も、さいきん財布、バッグ、スケジュール帳と黄緑~シャイニー薄緑が集まってきているわたしにピッタリでわありませんか。

しかし、4枚焼きは大きすぎる…場所が…

 

 と数か月、思いあぐねていたところ
夫と何かの話でトースターの話になり、
このトースターの話をしたら、2枚焼きを見つけてきてくれた。

item.rakuten.co.jp

これは、購入するしかないではありませんか。

というわけで、一昨日ネット発注して、今日到着!

台所の一角は、料理しながら音楽が聴けるよう、CDプレーヤーと
JBLのスピーカーちゃんがいます。
そこにAladdinトースターもくわわった!

JBLのスピーカー、その下にCDプレーヤー、その下にアラジンの薄緑色トースター

CDプレーヤー、スピーカにトースターも仲間入り

愛着のあるものに名前をつけるのが好きなわたしはもちろんつけました、
その名も"AladdinSane"です。

www.youtube.com

さっそく、残っていた市販のミニピザ生地を、残り物のっけて焼いて夫のお昼に。

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はたらくAladdinSane

チーズが溶岩のように溶け出て見かけはブサイクですが、サクサクでおいしかったようです!

アラジントースターで焼いた3種のミニピザの写真

3種のチーズとサラミ、モッツアレラとサラミ、3種のチーズと玉ねぎマッシュルームミンチ炒め

数日前に同じ材料で焼いてふにゃふにゃになった、従来のトースターとは大違い。

大き目の庫内では、二人分のグラタンなどもできそうで、料理の幅も広がる~!
そしててっぺんが素敵なカーブのうす緑の姿が目に入るたびに
ハッピーになってテンションあがります!!

きょうは国際女性デー

例年のごとく、夫が花をくれました^^

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ロシアではこの日カーネーションを贈ることが多いとか。

ソ連のいいとこは、基礎教育のレベルが高いところもそうですが、男女平等、男女が働くのは当たり前。でも、男と女のちがいがあるのは当然じゃん。って、ずっと以前からわかってるところ。そして、この「国際婦人デー」がずうっと昔から根付いていて、ロシア男性は女性に花を贈るところ。

ロシア人の男性は、よく花をプレゼントしてくれます。誕生日、記念日、女性のいる家に訪問するとき…。

ロシアでは、花束の花の茎は長いほうがいいそうで、夫はとくに茎の長い花を、茎を切らないように頼んで買ってきてくれます。

ロシアの街ではキオスクみたいな花屋さんがあちこちにあって、そんなお店のひとつにキュっとしゃれた車がとまって、素敵なおじさまがさっと花屋さんにはいり、大きな花束を手にでてきたの、かっこよかったなあ。

 

読み応えのあった「葬送の仕事師たち」

阿部公房の「カンガルーノート」って、「考えるノート」がロレって出来上がったのかなと、今頃になって思いついた篠木マリですみなさんこんにちは。

相も変わらずあれこれと、平行して買ったり借りたりした本を読んでいるのですが
昨日読了したのは「葬送の仕事師たち」井上 理津子 (新潮文庫

葬送の仕事師たち(新潮文庫)

葬送の仕事師たち(新潮文庫)

 

 葬儀関係のいろんな業種を、その仕事に関わるひとびと個々の性格や背景まで丁寧に取り込んだ、読み応えのある一冊です。

数年前に「エンジェルフライト」という、外国で亡くなった方、日本で亡くなった外国人を飛行機で送る仕事関係を丹念に取材した本で、エンバーミングについて知りました。 

 ずっと以前から、法医学者のなんたらいうのも何冊か読んでいるし
ここ数年は、特殊清掃(死体のあった現場の清掃)関係の本やら記事を読んで
死んだらどうなるか…どういう処理が必要か…という知識を得るとともに
「死に関する仕事をするひとびとの目を通じて、いろんな人生を見る」
こともしている気がしています。

葬儀関連の資格を得るための学校取材からはじまり、葬儀会社、必要な手続き、修復、湯灌、清拭、エンバーミング、墓、火葬等、死んでからお葬式を挙げて火葬までの変遷、現在の事情、そしてそれに関わる会社、ひとびとそれぞれ(やはり会社や個人によって思い、取り組み方が違う)を丁寧に取材していてわかりやすく、読みながらつい中座して夫用やペット用の骨壺や遺骨グッズをネットで探してみたり、本をぱたんと閉じて「夫が先に死んだら(年齢的には夫が先だし、本人もそうであることを希望)無宗教だし、『死んだら終わりと思っている。葬式などの死後のことは残されたひとのため。自分はなんでもいい』と言ってるし、親族はロシアだから間に合わないから(エンバーミングして一番近い従妹が来るのを待つとかいう予算はないと思われ)一番簡単な直葬かな、そうすると京都ではいくらかな」などと考えたり。

もうすこし若いころは、死だのお葬式関連だの遺言だの考えると、近くにやってくるようで不吉な気がして触れるのが嫌でしたが(そういう人も多いと思います)、だんだんそうも言ってられない年齢になってきて、いざその時がきてパニックにならんように、いろんなこと調べとこっと、と考えを切り替えて遺産(といってもほぼなしですが、そんなんでも骨肉の争いになったりするケース多いらしいんで)についてはすでに夫や子どもに伝えてあるし、夫が先に死んだ場合の相続についても調べた。10年以内にやってくるであろう猫とのお別れについても覚悟して、京都のペット火葬だとか、遺灰の扱いについて調べたりしている。こないだ可愛い骨壺眺めてたら、「また大好きなお買い物?」と夫に訊かれて「猫の骨壺選んでる」と言って引かれたけど。

いつかはやってくる死について考え、準備することで、前よりも愛する夫や猫との一日一日を大切に、幸せを感じながら過ごせるようになった。

一見言葉が通じるのに

同じ会社に勤めているけどふだんはかかわりのない、
勤務場所、していることの違うひととここ数日、やりとりしています。

これが、しんどいんだー。

わたしの思う「一般社会の常識」が通じね。
それらの常識、知識がない自分を恥じて欲しいんだけど
こちらが気を使って「会社によって『常識』は違いますから…」というのを真に受けてる。

わたしは初めてのひとがきいてもわかるように気をつけて話をして
たいていのひとには言うこと理解してもらえるのだけれど
そのひとは、明らかに理解力がなくて理解してくれへん
理解してるぶって返してくれるんだけど
「ポイントが違うんだよなあ…」
と毎回のように脱力する

また、そのひとが言ってくることはまとまりがなく
話の内容、時系列がぐちゃぐちゃ
言ってることがさっきと違ってくる
自分でも、なに言ってるかわかってないんでわ?

ぐぉぉぉぉ~

前職は、ある一定レベル以上に知識教養理解力能力があって当たり前
というところだったのでついつい比較してしまうのですが、
「いまいるところは違うのだから」
と自分に言い聞かせながらやっている。

ふだんは、話の通じる社長とのやりとりだけで済む業務なのでストレス少ないけど
たまさか、それ以外のポンコツさんたちとやりとりすると脱力マックス内心怒りマックス。

昨日もそれでつい、社長に愚痴ったら
「異次元のひとと会話するつもりで」
と言われて、なるほど。

それを胸に刻んで今日からやっており
キレそうになると「異次元のヒト、異次元のヒト」と言い聞かせております。