実家こわい

11月は忙しい月でしょっぱなからいろいろあった。

現在の職場メンバーでの大原観光、
1月から習い始めた太極拳の発表会、
以前仕事でサポートした研究室の教授との面会、
知り合いのライブ、
そして6年ぶりくらいの父親と、10年ぶりくらいの伯母との会食。

わたしは「よかれ」と思って自分の思いばかり押し付けて勝手に激高する実の母親が苦手で
とある出来事でそれがマックスに達して以来、完全に彼女と連絡を絶つことを選んだ。

父親は嫌ではないけれど、どうしてもこちらの気持ちを理解してもらえず、「親は有難いものなのだから感謝しなさい」「時代は変わったといっても、我々は変わるつもりはない。お母さんはこれまでずっとこうできたのだから、あなたたちが変わりなさい」といったことを言ってくるのでこれもまとめて連絡を無視して会わないことに。

しかし諸事情で昨年から上の娘が一家で地方の実家周辺でお世話になっており、完全に無視するわけにはいかなくなった。

それでも母親には一切直接連絡とることなく、最低限のやりとりを父親とするだけだった。娘が世話になっているのにお礼、挨拶しないから母親が怒り狂っていると娘からたびたびきいたけれども、これまでの勝手に思いが暴走してヒステリックに一方的に決めつけて責めてくること、こちらの状況や気持ちを考えずに論理的でない理屈で自分の思いばかり押し付けてくること、やりとりしているとどうしても子どもの頃の抑圧的で不幸だった時代を思いだして精神不安定になることから、いくら誰からののしられようと、死ぬまで母親とは会うまいと腹をくくった。父親や娘はどうしてもそれが理解できないらしく、「会えばわだかまりがとける」「お母さんはあなたのことを心配している」などとなだめてくるが、心を鬼にしている。自分のこころを保つために。

で今回、父親が「大阪に用事があって来るついでに、あなたの娘のことで相談がある」と言ってきた。母親には死ぬまで会うつもりはないが、父親には会いたいという気持ちがあったのと、互いに年賀状だけはやりとりしている大阪の伯母とひさしぶりに会いたい、そして伯母がすこしは弾除けになってくれるんじゃないかという期待から伯母に尋ねると都合がよいとのことで、3人で会食することに。

父、伯母の話から彼らの幼少のころや、はやくに亡くなった祖母のことも知れてよかった。父の言う「相談」とは、結局やはりいきなりきついことを言って自分の有難さを思い知らさせる母親が父の口を借りて言っていることで、それでまた一波乱あったのだけれどそれは置いといて。

ひさしぶりに会った伯母は、やはり相性というのはあるのだなあと思う、育ちの良いお嬢さんが年を取りましたといった感じで(彼らが幼少のころ、裕福だったというのは少々知ってはいたけれど「あのお手伝いさんが」てな話を当たり前のようにしていてビックリ)穏やかでふんわりした雰囲気が好ましいのはもちろん、話をしていて落ち着く、「気」がしっくりくるなと再認識した。

わたしの父親は商人の家系で、だからそうなのか、そういう性質だから商人なのか、いろんなことに興味を持って多趣味でおもしろがり、「遊び」が大事であるのに対して母親は「食わねど高楊枝」を具現したような武士の家系で背筋を正して脇目を振らないのが大事、相手の気持ちを考えずにぴしゃりとやっつけるのが得意。伝統やしきたりを大事にして自分の正しいが至上。こんなにも正反対な二人がくっついたのが不思議、世の中にはよくあるのだろうけれど…。

わたしはどちらかというと多分に父親側の血、性質をひきついでいてだから伯母ともウマが合うのだろうけれど、キリキリして自分の正義で攻め・責めがちで苦しめられてきた母親の血もじぶんのなかに感じて、それがわたしを苦しめる。

よく「氏か育ちか」を科学的に考える本を読んだものだけれど、それらを読んだ結果と自分の実感から、「どちらもあり」だけれどやはり「血は争えんなあ」というところがある。

冷静で論理的な下の娘とLINEでやりとりして、「父の相談」から起こった一波乱のことからさいきんの自分の行動、現在の仕事に話がおよび
「仲良しの別グループのひとに、わたしの年下上司(男性)が繊細で好き嫌いが激しいので『あなたよくやってるわねえ。わたしはおおざっぱでがさつだから絶対無理だわ』と言われた。わたしもおおざっぱでがさつなんだけど、細かいところもあるからやっていけてるのよねえ」
と言うと
「ママのそういうところ不思議やんな〜ほんまに不思議で不思議で仕方がない 七不思議の一つかもしれん」
と返された。

そういえば一年ほど前にも
「ママは仕事ではできる人なのに(だって一緒に旅行したときのプラン作成からすべての手配までビシっとこなしたじゃん)、家ではどうしてそんなにだらしないダメ人間なのだろう」
という風なことを言われたことがあった。

父母ふたりの血がまざった、わたしの二面性がいかんなく発揮されている好例ですな。