考えを深めたい

毎日家を出るときに郵便受けから朝刊と前日の夕刊をとって出勤し
持参のお昼ごはんを食べながら新聞を読むということをもう何年も
どの職場ででもやっています。

今日の朝日新聞の朝刊だったかな、昨日の夕刊だったか。
いま手元にないのでちょっとわからないけれど、どちらかに載っていた
(調べてみると、7月4日(土)付の夕刊でした)
舞踏家の麿赤児さんのお話が印象的でした。

自分がふわふわ考えてたことを、ずばり言われたような。

「今は手元にスマホがあれば、誰かとすぐつながれる。その一方で、深い思考に鍛えられていない想念が茫漠と広がるネットの闇のなかで、溺れてしまう人もいる」
自分は、溺れるまではいってないけれど(と思いたい)、だいぶアップアップしているほうかも。
スマホではなくPCだけれども、常にネットの世界に「なにか」を探している自分に最近気づいてしまった。ネット上で「イケてる人」の自薦他薦をみてはうらやんでいる。自分でなにかを生み出して書きたいのに、外からの情報を受け入れるのに頼りすぎて自分が空っぽ、なんにも出てこない。とりあえず、読書をして己をすこしでも深められないかともがいているけれども…。

「己の器におさまる分でおさめておくという胆力」
たしかに、「分を知る」というのは大事よねえ…。いつもいつまでも、「もうちょっと物知りになってから、もうちょっとできるようになってから」”ちゃんとした”ものを書こうと思ってずっとできていない。あれもこれも知っている、できる自分でいたいと思って貪欲になりすぎてはできない自分に落ち込んで、を繰り返している。

「理解できない世界を、ひとまずそのまま受け入れてみる。不安をひたすらこらえ、自分のなかで何かがぽこぽこと発酵し始めるのを待ってみる。いつか、見たこともない変なものが、ぷちょっと出てくるかもしれない。」

さいきん、記憶や情報を外付けできるものだから、思ったことまでその場で書いてしまい、それで気が済んだ気がして己のなかで熟成できていない。もうすこし、自分のなかにいろいろをためこんで静かに相対して、そうしてなにをか作り上げたい。わたしのなかの「変ななにか」が「ぷちょっと」生まれ出てくるのを眺めてみたい。