石焼き芋のおもひで

今週のお題「いも」

いまではいろんな道具やら知恵やら発達して
家でふかす焼き芋もずいぶん美味しくできるようになったはずですが
いまだに、晩秋から冷たい風ふきすさぶ夜の
「ピーッ」
という、人呼んで「超音波」とともに流れるおじさんの
「いしや~きいも~」
という声にはついつい家から走り出て、安くもないのに買ってしまいますね。

もう何年も前になるのだけれど、
大阪のどっかで
「焼き芋屋なのに、芋を売っていない。
目つきの悪いひとが付近をうろついている」
というタレコミがあり、捜査してみると
焼き芋屋のフリをした、シャブ販売所だったんだってさ。

詰めが甘いなあ、めんどくさかったんかもしれんけど
ちゃんと本物の焼き芋も売ってさ、
シャブ買いにきたひとには符牒言ってもらうとかして
カモフラージュしとかんと。

石焼き芋といえば、もうひとつ、たいせつな思い出があります。

わたしが子どものころは今とちがい、
大気汚染ガーとか、何々違反ガーとか言われることもなく
小学校には焼却炉があり、掃除当番は毎日燃えるゴミを捨てに行ってました。
昔はそこに教科書や上履きが捨てられていたという、イジメの定番もありましたが
いまどき、そして未来の子供たちには未知の世界でしょうね。

そのころは、あちこちに空き地があり
いまのように「立ち入り禁止」みたいな札もなく
近所のひとびとは家のそばの空き地でゴミを燃やしていました。

5歳くらいだったでしょうか。
1つ上の姉と手をつないで近所をうろうろしていたわたしは
家からそう遠くない空き地でゴミを燃やすか焚火をしている3,4人のおじさんたちと一緒に火を囲んでいました。

わたしたち姉妹はその名称から、「石焼き芋は、芋を長い間火にくべたらできるもの」と思っていました。
なので、その空き地で見つかるなかでは大きいほうの、手のひらよりすこし大きめの石をせっせと火に投げ込んでいました。おじさんたちは、わたしたちのそんな様子をニコニコと(いま思えば「ニヤニヤ」かもしれません)見守っていました。そのうち、二人連れの兄弟が通りかかりました。わたしたちと同じか、すこし上くらいです。わたしたちは、石焼き芋を作ろうとしているのだと説明し、男の子たちもそれに参加しました。

夕焼け空が茜色にひろがってきて、そうなると家に帰らなければ、きびしい母から叱られてしまいます。男の子たちはまだいられるようで、石焼き芋の出来を見届けることを約束してくれました。

翌日ひるま、姉が小学校にいっているあいだにひとりでその空き地に行ってみたのですが
燃えたゴミの炭のなかに、焦げた石があるばかりでした。
無事石焼き芋になった石たちは、男の子たちが持ち帰ったか、食べたかにちがいありません。

そのご、男の子たちに会うことはありませんでした。