こどものちから

あっという間だった日々。

現在飛行機の距離に住んでいる孫1(小4)と孫2(小2)の姉妹を2週間ほど、預かりました。

これまで親とともに我が家で1泊や2泊したことはあるけれど
子どもたちだけで2週間強滞在というのは初めて。
けれど予想通りすんなりなじんで、たのしく過ごしました。

期間限定がわかっているからこちらも優しく対応できるし
ある程度大きくなっているので、わたしが仕事で不在の日中は自分たちで過ごしてくれる。
ごはんだけ用意して、在宅の夫に必要に応じて子どもたちにお昼ごはんを温めて出してもらい、わたしが仕事が終わって帰宅してから一緒にたのしく過ごしていました。

以前から思っていたけれど、子どもの観察力、理解力、考える力を馬鹿にしてはいけないとしみじみ思いました。

よく見て気づくし、考えている。
「ばあば、こうしてたでしょ」
「こう思って、こうしたでしょ」
「それ、いいね」
「こう考えて、そうしてくれたんだね。ありがとう」
等々。

上の子はちょっときりきりしている部分あり
優しいんだけど、すごく真面目に思い込むというか。
下の子は芸術肌っぽい面白い感性の子だけど
繊細なところもあり、気をつけてあげないといけない部分あり。
それぞれのちがいなどを観察するに興味深かったり、感心したり
子どものころの対応の大切さを実感したり。

わたしの愛情を求めて互いに競ったり、嫉妬したり、喧嘩したり。
そして、そういう自分たちに気がついてもいて
最後に渡してくれた手紙にも
「しっとしたり、喧嘩ばっかりでごめんね」
と上の子が書いてきたり。
「でも、それにもばぁばは優しく言ってくれてうれしかった」
とも。

子どもたちは、わたしが日常からハレへ連れ出してくれたこと
懐かしい京都に連れてきてくれたことなどをとても感謝してくれたけど
わたしも子どもたちのおかげで助かった。

とあることでいま仕事がとても大変なのだけれど
まったく関係のない子どもとの世界で癒されるし
子どもたちがわたしと楽しんでくれること、
わたしのつくる料理をとてもおいしがってよろこんで食べてくれることで癒された。

一方で、期間限定であるから優しく、根気強く相手できるけれど
これがほんとの「子育て」だったら、余裕なかっただろうなあとか
(そのぶん、やはり子どもは親だけでなく、ほかの大人と接するのが大事だという思いを強くもした)
「ハレ」だからとでたらめな生活を許したけど
日常だったら、きちんとした規則正しい生活を送らせるべきなんだろうなあ
やっぱわたしにはもう無理~、とか。

そしてもうずいぶん長いこと、大人の相手や仕事で
いかに能率よく効率よく動くか成果をだすかが主眼だったけれど
子ども相手は、目に見える、言葉にできる成果ではなく
「相対すること」「向き合うこと」「いること」
の大切さを感じて、ひさびさに
「一見なにもしていないようで、豊かな時間」
を子どものおかげで過ごせて心なごみました。

ありがとう、孫たち!