ひさしぶりに、図書館から本を借りた。
ネットのある人の話で興味を持った
「菊と刀」
という本だ。
もはやなんで興味もったかは忘れてしまった。
第二次世界大戦に、人類学者が日本人の行動原理などを理解するためにした研究らしいのだが、はいりばなは
「へえ、すごい。そうか、的に勝つためにこんなに研究を」
「そうか、やはり文化的基本が違ったからこんなにも理解できなかったのか」
などなど感心したものの、語り口調の古さのせいか内容がもたもたしているせいか、どうにもページが進まなくてこりゃまずいぞ、と思っていたところに、一年以上前に予約してようやく順番がまわってきた細木数子本が借りれますよのお知らせメールがはいってきた。
のこのこ出かけてみると、「菊と刀」が返却期限切れ状態で、それ返さないと貸出できませんだと。
ぐずぐずしてるうちに、滞納するくらいの時間たってたんだ。びっくり。
もう細木数子どうでもよくなってたけど、取り置き期限明日までいうんで、まあ1年待ったし、借りてみるかいと慌てて「菊と刀」返して借りてきた。
が、おもしろくない。
暴力団系本お得意の溝口敦本よ。
やくざの彼からもらった本のなかに、溝口敦の書いた司忍話もあったなあ。
やくざもんといえば溝口敦とか、やくざも嫌がる硬派だとかいろいろ言われているが、おもしろくない。
わたしは細木数子を好きでも嫌いでもないんだが、必要以上に「いやな女」としての位置づけ決めつけで書いているのが不快だし、「オオカミおばば」など名づけなどに品がない。
文学作品がおもしろくなくて、ノンフィクションしか読まない時期があったけど、あたしは調べたことを淡々と、しかし実は構成に著者の妙のあるような、そして奥ゆかしく著者の気持ちや共感、感じるところが差し込まれているのが好きだなあ。立ち位置を決めて、この細木数子本のようにすべてのことをあえて悪意に解釈して書いていくのはなんだか不愉快だ。もちろん、細木数子もほめられた人生ではないだろうし、いろいろやってるだろうけれど、そないに悪意もった書き方せんでいいでしょうに、下品になってるよ。と読んでいてぜんぜんたのしくない。魅力がない。適当に読んでみて、時期がきたら返すとしよう。
以上、残念だった図書にかんする話でした。