自称いいじゃない

「自称ライター」とか「自称作家」、「自称ミュージシャン」
それで食っていけてないくせに、そう名乗るなんて恥ずかしいことだとずっと思っていた。

読売新聞オンライン版の、読者が読者の質問に答える「発言小町

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世間の多くのみなさんがなにを思ってどう感じるのか参考にしたり
ドラマのようなお話をのぞいてみたり
最初、周囲に不満ばかりだったひとが皆さんからのコメントで自分自身と周囲を見直して劇的に変化したり
皆さんのコメントなどなんのその、ちょっと別の世界に生きてらっしゃるかなあと思える方の話が興味津々だったり

そんなこんなで愛読者であるわけですが
先週注目していたのがこのトピ。


芸術家ってどこからがプロなんでしょう

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トピ主の同級生が画家と名乗っているらしいが
お金をかけて環境整備してるわりには、二科展とかで名前きかんし
趣味の範疇ちゃうんちゃう?
それでプロと名乗っていいのか?プロの境目はどこから?

というようなトピだったのですが
それに対する反応が

・有名になる、二科展などのそうそうたるものに出せるのはごく一握り
・有名でなくとも、それで食っていけていなくとも、絵を描いてれば「画家」。そもそも、そのひとは「プロ」と自分で言ったのか?
・芸術家と「プロ」は違う
・何者でもないトピ主が嫉妬してるんじゃないの

というようなものだったのですが

自分の意図しない反応だったらしく、トピ主は
「わたし自身、とあることをやっているが『それをしている』ということは慎んでいるのに、同級生は自分が画家と言ってまわっている。嫉妬なんてしていないのに、そういう風にとられるんですね」
とぷんぷんな感じでした。

この発言小町を読んでいておもしろいなと思うことのひとつは
トピ主が、本人気づかずに嫉妬であったり、相手を見下していたりなど
気づいていない、あるいは隠しているつもりの本音が
三者からみると明らかで、それを指摘されると
「わたしはそんなこと言ってない/思ってませんよ!」
と反論しているが、傍から見ると明らかなんよなあ…。

つまり、わたしだってブログその他であれこれ書きなぐっていることも
本人気づいてない本音がだだ漏れということか。
桑原桑原。


それは兎も角。

「絵を描いているならば、『絵を描いているひと』てことで『画家』なんですよ」
という言葉にハタと膝を打ったのでした。

わたしはダンスが好きで
フラはもう20年ちかく、タヒチアンダンスやベリーダンスを習っていた時期もあったし、ベリーダンスはトルコまで国際合宿に行ったこともある。
その他、日本人外国人講師の単発コンテンポラリーダンスの講習もいくつか、受けた。

出入りしているバーの大きな周年パーティー
老舗ライブハウスの舞台で踊ったり
そのバーのマスターと組んで、とある会のパーティーにダンサーとして呼ばれ、対価をもらったこともある。

けれど、それで食っているわけでもないし、
「プロ」と呼ばれるほどの技能あるわけでもないので
そのバーでマスターがお客さんに「この子、ダンサーなんだ」と紹介してくれたり
周年などのイベントでわたしが踊るのを記憶してるお客さんが
「ダンサー」として覚えてくれて声かけてくれると恥ずかしい。

けれど、と思った。

「ダンサーなんて、名乗る資格ない」
と思っていたけれど、そりゃ日本語で「ダンサー」というと
プロのダンサー、それで食っている、金稼いでるひとのイメージだけど
英語で"dancer"というと「踊るひと」なんで、そっちでいいんじゃない?

とこれはまあ、いつもそう思ってはしばらくたつと忘れてまた恥じ入ってしまうのだけれども。

FBで「お友達」の芸術評論家?のひとがここんとこ投稿で
デビッド・バーンの「アメリカン・ユートピア」のことをよく言及してるので
なんとなく記憶にのこっていたところ、これもFB友の(こちらはリアルの友達でもある)スタンダップコメディアンのナオユキさんが
アメリカン・ユートピアの元歌」
ってことでリンクあげてた
"Hell You Talmbout"のタップダンスがめっちゃかっこよくて

www.youtube.com

すっかりハマってネットで背景調べたりしてみたんですが

en.wikipedia.org


やっぱり、力強いダンスは、大好きだなあ!

と踊りたくなる曲をかけては、ひとり自宅で勝手に踊っているきょうこのごろ。