きょうの読書:つっこめお伽草子

こないだから、自宅時間にちくま文庫の「お伽草子」を本棚から引っ張り出して再読しています。 

お伽草子 (ちくま文庫)

お伽草子 (ちくま文庫)

  • メディア: 文庫
 

 これが、突っ込みどころ満載なんだな。

まずはしおりの挟んであった「物くさ太郎」から。
自分の住みたい立派なお屋敷のことをあれこれと想像するが、
「いろいろと足りないものですから」ただ四方に柱を立てて、屋根をかけて住んでました、
って足りなすぎやろ!

でも、「こういう家に住みたいなあ」と妄想するのって今も昔もおんなじなんだなとおもしろかった。

神社仏閣のお参りにいくのが、昔の旅行の理由付け、女官や位の高いひとの息抜き理由づけだったんだなあというのも知れておもしろい。

ちょっと起き上がって落とした餅拾うのも面倒だから、拾ってくれるひとを待って2日も3日も転がってるような奴が都に行って急に働き者になれるか?というのが疑問。
親も知らずに寝そべっていただけなのに歌を詠む才があるんか?
というのも疑問に思ってたら、最後に実は位の高い人の御子であったと判明、急に貴子流離譚でそれまでおもしろく読んでたのに白けてしまった。
まあ、いろんなバリエーションがあるらしいので、ほんとにふつーのひとで棚ぼた式に出世したバージョンもあるのだろう。

庶民の希望とか妄想とか盛り込まれてたり、世相や風俗がわかっておもしろいよね。
当時の娯楽話であり、道義の教科書でもあったのだろうな。

しっかし、酒呑童子の話はひどいぞ!
なにがひどいって、片腕切られて足も肉削がれて、遠からず死ぬだろうって姫君が
(たとえ生きのびたとして誰にも顔向けできない、悲惨の人生だろう)
「この苦しみにはやく終止符を打つように」
鬼を退治した頼光に引導渡してくれって頼んでるのに
「気持ちはわかるが親に連絡するから、助けを待ちなさい」
って後に残して、医療ヘリコプターもない時代に
山伏みたいな修練積んだひとでさえ大変な山や谷を越えたところによ。
ほんで自分たちは「討伐万歳」の祝賀会に出てるんだから、気楽なもんだ。

あと、「あきみち」もひどい。
自分の親の敵討ちに妻を利用、妻に頼み込んで宿敵の女になれってさ。
で結局、妻はその宿敵の子どもを産むわけよ。
ほんでから、いよいよ狙っていた機が熟して夫を宿敵の寝所に案内するわけだけど
自分の子どもの親を殺させたわけだから、
「よかったよかった、本願成就」
と喜んでモトサヤにもどろうとする無神経なあきみちを後目に出家するわけ。
そら、当然だろうよ。
いまどきの子だったら、さっさと金持ちで権力もあるだろう宿敵に寝返るだろうよ。
ほんでも、本人が決意して
「夫・恋人の仇を討つためにかたきに身を任せて油断させる」
つうのはいまだにレディースコミックの定番だわな。
つうことは、昔から続くロマン?

熊野権現の縁起話もひどいぞ。
なんしろ、1000人も后がいてそのうち1人を6年も放っておくのがまずひどい。
ほんで、男の子が生まれないからって
(いまと違ってDNA検査ないから、いくらでもほかの子種で作れそうだけど)
6年もたって可愛がりだした后に男の子が生まれそうってんで
ほか999人の后の嫉妬が集結するのは、まだわかる。
しかし、その陰謀で大王が后の寝所から逃げ出すことになっても
后が消えても(偽の勅旨で臨月なのに2日も3日も山道歩かされて最後には首刎ねられる)
ぼんやり悲しがるだけでなんもせんとか
ボンクラにもほどがあると現代人の感覚では思うんやが

昔の話を読んでると、身分の高い方というのは
鷹揚であるのがお仕事で、お付きの者のいうことをきいておくものみたいだから
現代の下々の者からは想像もできないお考えと行動様式だったのでしょうなあ。

など、いろいろつっこみながら読んで当時の風俗や考え方に思いをいたすのもおもしろい。
そして、綴られる流麗な日本語には感心するし、読んでて心地よい。

本棚には、太宰治の「御伽草子」もあるから、あとでそっち読むのもおもしろそう。