「華氏451度」を読んだ

焚書」は「ふんしょ」と読むことを、こないだ読んだ「1984年」にふってあったふりがなで知りました。それまで「たくしょ」と思っておった。

三回目の正直で(図書館で借りたけれど1回目読まず、2回目翻訳が気に入らず返して別の翻訳者のものを借りなおした)
華氏451」読了しました。「焚書」で有名な話です。

 

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)
 

 直前に「1984年」を読んでいたのでそれよりよほど軽いSFものな印象だったけれど
それなりに面白かったです。これはほんとに読んだので(「1984年」は読んでないくせに、「読んだらお互いに読後感想を言い合おう」などと言った)読んだら感想言い合おうと言った夫に

「おもしろかった。でもやはり、『1984年』より軽い。主人公のモンターグがあまりにもナイーヴ(英語的な意味での。若くて考え方が甘いという意味)。重要な登場人物である女の子がすぐ死んでしまうのもちょっと違和感があった」
と言うと
「正直、30年前に読んだので主人公の名前すら覚えてないし、女の子が登場したのも覚えてない。全体的な印象だけ。(旧ソ連を生きてきた自分にとって)現実世界で起こってることを、なんでいまさら本で表現するのかという」
って、感想言い合う意味ないじゃ~ん。

政府によって統制されている、本を規制して思考を鈍麻させようとしているといった点では「1984年」と共通点がありますが(こちらのほうが後で、当然「1984年」の影響を受けている)ファイアマンが「消防士」ではなく「焚書官」という意味で、いまや家屋の火事は技術が発達していて起きず、ファイアマンは火消しではなく、本があるという通報を受けると駆け付けて、水ではなく石油のつまったホースを抱えて本ごと家屋を燃やすというアイデアはおもしろかったです。
1984年」もそうですが、第二次世界大戦の記憶が新しいので、戦争や、原爆についての意識も強くある印象。

本は焼かれてしまうので、多くのひとがそれぞれ、頭のなかにいろんな書を記憶する、というくだりは「稗田阿礼みたいじゃ~ん。稗田阿礼が、いっぱいいるイメージね」と思いました。

1984年」とちがい、救いのある終わり方だったのだけれど、やはり深さが違うからか、「1984年」のほうが好きだなと思いました。