べきの呪縛

お気に入りのサイトのひとつに
読売新聞オンラインのなかにある、
読者が読者の質問に答える「発言小町」があります。

komachi.yomiuri.co.jp

男性からの質問・回答もありますが、どうやら参加者は圧倒的に女性が多いらしい。
日本全国いや海外在住もありの、みなさんの悩みや意見が投げかけられて
さまざまなひとからの回答が興味深いのですが
質問・回答ともにいろんなレベルがありすぎて見苦しいものもあるのが難点。
あと、どんな質問に対しても、内容を理解せずに思い込みで人を攻撃するひとって多いなあ…という印象も。

自分と似たような意見、感じ方のひともいれば、話が通じなさそうなひともいて、勉強になります。

そのなかでも、「こうあるべき」というべきべきべきに固められたひとはしんどそうだなあ、と思うこと多々。

「嫁とはこういうものですよね!」とか
「期待していた婚約指輪・結婚指輪がもらえなかったからがっかりした」
「結婚式が一生で一番大事だったのに、台無しにされた」
その他その他、「これはこうあるべき」と思い込んでるから
その不幸が発生してるのでは…と思えることが多うございます。

さいきんでおもしろかったのは、母の日ネタ。
「期待していたようなプレゼント、対応を家族にしてもらえなかった」
というものがちらほら。

でも、そのうちのひとつを読んでみると
子どもはまだ小学生と中学生で、しかもできるプレゼントを用意してくれていたり、
「母の日だから」と片付けを率先してしてくれたりしているのに
「義母へのプレゼントの用意してるわたしの姿をみているのだから
しかるべく祝ってくれるべきなのに。夫もスルー」
とご立腹されているようなのですが

え?母の日だから夫関係なくね?

わたしは、親からの「親は無条件に敬って尽くすべきもの」という押し付けに強い反発があり
自分の子どもたちに何かしてもらうほどのこともしていないから
自発的に「いつもありがとう」という言葉と気持ちをくれるだけでうれしいのですが

今年は、下の娘はわたしが好きそうな猫の靴下を買ってくれ
お金のない上の娘は、家をピカピカに掃除してくれました。

期待しすぎたら裏切られた気持ちに陥りやすい
「べき」が減ったらラクになる

なーんて偉そうなことを言いつつ
日々、同僚氏に内心
「社会人として、これくらいの立ち回りできるべきだろっ!」
とイラついてしまうのでした。